岩崎弥太郎とは

商家に連なる坂本家は、郷士の身分でありましたが暮らしに困窮するということはなかったようで、そういったことも、弥太郎の感情を刺激していたと思われます。地下浪人とは、郷士の株を売ってしまった浪人のことを言います。1885年(明治18年)、50歳のときに亡くなりました。そしてその後、新政府の貨幣制度統一や軍需輸送などで巨利を得ます。

弥太郎の曽祖父、弥次右衛門の代に、郷士の株を売り、地下浪人になったといわれています。この頃の弥太郎の日記には、龍馬と酒を酌み交わすなどの交流の様子が書かれています。1867年(慶応3年)、土佐商会の主任になり藩の貿易に従事し、龍馬の海援隊が藩の外郭機関となると、その経理も担当しました。その後成長するにつれ、次第にその才を認められるようになり、土佐藩の参政(家老)・吉田東洋に見出されて異例の出世を遂げます。

幼い頃より頭脳明晰で、貧しさに耐えながら学問に励みました。今までにない、新しい龍馬伝を作りたいとの思いで始まった大河ドラマ「龍馬伝」は、岩崎弥太郎の視線で捉えた龍馬を描いています。維新後の1870年(明治3年)、土佐商会は九十九商会と改称し、廃藩置県後の1873年(明治6年)には、弥太郎の個人企業となり三菱商会と改称します。

1835年(天保5年)生まれの弥太郎は、龍馬より一歳年上となります。岩崎弥太郎といえば、三菱財閥の創業者として知られていますが、弥太郎が巨万の富を得たのは、明治維新後であり、龍馬と交流があった頃は貧しい地下浪人の身分でした。龍馬に対しては、常に羨望と嫉妬の入り混じった感情を抱き、ライバル視していたとされ、不仲であったという説もあります。